2010年08月17日

むかし話。

こんばんわ。
連日、猛暑の中
たくさん歩いて
たくさん汗をかいているのに
体重だけは
いっっっさい減らない
裕之ですニコニコ



先日、とても親しくしていただいている方が
新しく会社を立ち上げられました拍手
おめでとうございますクラッカー

その会社の社印の製作依頼をいただきましたので、
早速、いつもお願いしている
ハンコ屋さんに行ってきましたダッシュ


JRの高架下に
多くの店舗が軒を連ねる
元町商店街
むかし話。
幅2mもないほどの
狭い通路。

その一角にあります。
むかし話。
三誠堂さん。


最近ちょくちょく
お仕事をお願いしており
いつしか顔見知りになりました。

ここの社長は職人さんですが
とても温和で親しみやすい方なんです。


で、今日は
とても興味深いお話を聞かせていただきました。



「元町商店街の成り立ち。」

終戦直後、焼け野原になった元町一帯で
人々は少しでも雨風を凌ぐため
高架下に集まってきました。

そして木片やベニヤ板を拾い集め、
壁を作り、それぞれ自分達の居場所を確保したそうです。

そして生活のため、
その高架下で、色んな物を売るようになりました。


それが「元町商店街の発祥」だそうです。


いつしかそこは賑わい、
民衆の生活の基盤となっていきました。


しかしそれは
「不法滞在・不法営業」になってしまうのです。

当時その場所は「国鉄」の持ち物。
すなわち、国の持ち物です。

民衆を支える場所になっている以上、
「立ち退き命令」は現実的に不可能でした。

しかも店舗は違法な建造物であり、
いつ火災が発生してもおかしくありません。


そして昭和30年代
国が迷った末に出した答えは

「滞在権・営業権を与えます。
 その代わり、安全な建物に造り直すこと。」

という交換条件でした。

ほとんど全ての店舗が
その条件を受け入れ
自分のお店の権利を手にしたのです。



・・・で
そのハンコ屋の社長は
昭和37年に権利者から
今のお店を買い取ったということ。

なんとなんと
それから49年間もその場所で営業してるんですオドロキ

ハンコを作り続けて58年!
お店を構えて49年!

ここまで続けてこられた事
本当に素晴らしいですね拍手




話は終戦直後に戻りますが
当時の方たちは
生きることに必死だったんですね。

今の僕達が平和でいられるのも
その方たちのおかげだと
改めて思います。

感謝、感謝。



今日は

生まれて初めて

ハンコ屋さんで

1時間を過ごしましたアセアセ





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Posted by イケてるナウナウ隊 at 22:58│Comments(0)HIROYUKIのつぶやき
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